絶対音感は「1万人に1人」の特別な才能だと、私は長いあいだ思っていました。ところが新潟大学の宮崎謙一氏が日本音響学会誌に書いた解説(2013年)を読むと、この「1万人に1人」という数字は、1937年と1940年の調査をもとにした大まかな割り算から生まれたもので、根拠が弱いと指摘されています。しかも日本の音楽大学では、学生の半分ほどが正確な絶対音感を持つという結果も出ています。
この記事では、絶対音感と相対音感の違いを、音の聞き方の仕組みから整理します。あわせて、絶対音感はなぜ幼いころに身につくと言われるのか、音楽の力として本当に役立つのかを、2026年10月時点で確認できた研究の数字で読んでいきます。
- 絶対音感は、基準となる音なしに、1つの音の名前(ドやCなど)を言い当てる力
- 相対音感は、音と音の間隔や調の中での位置を聞き取る力
- 「1万人に1人」は123人の保有者を400万人で割った計算が元になっている
- 絶対音感が目立つ日本の音大生では、移調した音程の聞き取りで不利になる場合も報告されている
絶対音感は単独の音の名前をすぐ言える力
12の音をランダムに鳴らして答えられるかが基準
宮崎氏の解説では、絶対音感は「1つの音のピッチを、他の音と比較することなしに、音楽的な音高名で言い当てる能力」と定義されています。1オクターブにある12の音をランダムに鳴らし、基準の音を頼りにせず、C・D・Eやド・レ・ミの名前を即座に、十分正確に答えられる人が、絶対音感があると見なされます。
ここで言う「ド」は、いつも同じ高さの音に固定されています。ピアノの真ん中あたりのCの音は、どんな曲の中で鳴っても「ド」です。12の音がどんな間隔で並ぶかという話は、平均律と純正律の違いの記事で周波数の数字つきで整理しています。
「絶対」は完璧という意味ではありません
英語では perfect pitch(完ぺきな音感)とも呼ばれるので、日本語でも「絶対」を、他に比べるものがないほど優れているという意味に受け取りがちです。宮崎氏によると、学術用語の「絶対(absolute)」は、他の音と比較せずに、という操作上の意味にすぎません。優れているとか完ぺきだとかいう価値の意味は含まれていません。
私も「絶対」の二文字から、耳の性能が桁違いに良い人を想像していました。意味を知ると、「基準なしで名前が言える」という、かなり限定された能力に見えてきます。
相対音感は音と音の間隔で聞く力
ドの位置が動くのが相対音感
相対音感の人は、音を単独では判断せず、基準になる音からの距離で聞きます。宮崎氏の解説では、相対音感の人はドを自由に動かせるとされています。ドをDに合わせればニ長調、DとD♯の中間に合わせることもできます。絶対音感の人は、ほとんどが固定ドで聞くので、ドはいつもCです。
メロディは、高さの違う音が次々に並んでできています。同じ曲を高いキーで歌っても低いキーで歌っても同じ曲に聞こえるのは、音そのものではなく、音と音の関係を聞いているからです。音と音の間隔を数えて合わせるという感覚は、ギターの2弦と3弦の間だけ長3度になる理由の記事で、半音の数を使って説明しています。
オクターブが似て聞こえる感覚は乳児にもある
相対的な聞き方の土台に近い性質として、1オクターブ離れた音を「同じ仲間」と感じる性質があります。宮崎氏の解説では、この性質は生後3か月ほどの乳児やサルでも観察されているとされています。音楽経験のある人だけが持つ特別な力ではなく、人に広く備わった感覚です。
これに対して、音の名前をただちに言い当てる絶対音感は、一部の人だけが持つ力です。この差が、次のH2の「どのくらい珍しいのか」という話につながります。
絶対音感について、どんなイメージを持っていましたか?
- 音楽の才能の証だと思っていた
- 生まれつきの能力だと思っていた
- 訓練で身につくものだと思っていた
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絶対音感は本当に1万人に1人なのか
元の数字は123人を400万人で割った計算でした
「絶対音感を持つ人は1万人に1人以下」という数字は、1955年のアメリカ音響学会誌に載った Bachem の論文が出どころとされています。宮崎氏の解説によると、1937年と1940年の研究で調べた絶対音感の保有者が123人で、その人数を調査地域であるシカゴと周辺の人口400万で割ったものが元になったと思われます。
計算すると、123÷4,000,000×100=0.003075%で、約0.003%(10万人に3人)です。
ここで私は、数字を見て声が出ました。1940年の論文では、割り算の答えは0.0003%と書かれていたのです。正しくは0.003%で、小数点が1桁ずれています。
0.0003%のまま計算すると、400万人×0.000003=12人にしかならず、実際に集めた123人の10分の1です。
いちばん驚いたのは、割り算の間違いより、その後です。1955年の論文の「1万分の1以下」という推定は、この大まかな割り算を引用して作られています。宮崎氏は、これを「杜撰なやり方」と書いています。
「持っている」と「持っていない」の間に線は引けない
もう1つの問題は、123人をどうやって見つけたかが書かれていないことです。音楽学校やオーケストラなどから参加者を募ったとみられますが、母集団全体を調べたわけではありません。見つかった人数を地域の人口で割る方法は、成り立ちません。
絶対音感の正確さは、全く間違えない完全なレベルから、偶然よりも少しましなレベルまで連続的に分かれています。1937年の論文を見ると、103人のうち正確な絶対音感とされたのは7例だけで、残りは半音やオクターブを間違える人などです。相対音感に頼って答えているのに、絶対音感に数えられた疑似絶対音感も13例ありました。
103人のうち正確な絶対音感が7人なので、7÷103×100=約6.8%です。
よく引用されるもう1つの推定値、1,500分の1にも根拠がありません。遺伝を調べた研究の考察で、音楽教師の経験上の印象として紹介されたもので、その記述も未公刊の論文からの引用でした。
日本の音大では半数が持ち、欧米では5〜10%
「一般の人の何人に1人か」は、絶対音感が音楽に関わる能力なので、あまり意味がありません。調べるなら、音楽を学んでいる人の中でどのくらいか、になります。宮崎氏の解説は、選択バイアスが入らないように配慮したテストの結果を、いくつか挙げています。
アメリカと中国では5%と56%の差が出た
Deutsch らは、アメリカのイーストマン音楽学校と中国の北京中央音楽学院の学生に、絶対音感のテストをしました。正答率85%以上の学生は、イーストマンで約5%、北京で56%でした。Deutsch らはこの差を、子どものころに声調言語を覚えることが絶対音感につながるという「声調言語仮説」を支持する結果と考えています。
日本・ポーランド・京都の数字
宮崎氏らはポーランドと日本の音楽専攻の学生で比べています。正答率90%以上を正確な絶対音感とすると、結果は次のとおりです。
| 対象 | 正確な絶対音感の割合 | 判定の基準など |
|---|---|---|
| ワルシャワのショパン音楽大学 | 9%ほど | 正答率90%以上 |
| 新潟大学教育学部の音楽専攻 | 37%あまり | 正答率90%以上(85%以上なら41%) |
| 京都市立芸術大学の音楽学部 | 54% | 5オクターブ60音のテスト(85%以上なら57%) |
| ※宮崎謙一「絶対音感を巡る誤解」(日本音響学会誌69巻10号、2013年)より。大学ごとにテストの内容が異なります。 | ||
京都市立芸術大学では、正答率100%の完ぺきな絶対音感を持つ学生が3分の1にもなります。正答率50%未満を「絶対音感なし」と見なしても、その学生は17%にとどまります。宮崎氏は、日本の音楽大学では学生の半分以上が正確な絶対音感を持ち、持たない学生は少数と見られると書いています。
欧米の音大が5〜10%、日本と中国が約50%なので、50÷10=5倍から50÷5=10倍の開きがあります。
理由は、まだ分かっていません。宮崎氏は、日本や中国で子どものころからの音楽訓練が盛んなことをまず挙げています。ただし日本語は声調言語ではないこと、遺伝の証拠も十分でないことを、あわせて述べています。
絶対音感は幼いころに言語のように身につくと考えられている
脳波で見ると、ドの音は左の脳で処理されていた
新潟大学脳研究所の研究グループは、絶対音感のある音楽家、絶対音感のない音楽家、音楽経験のない人の3つで、「ド」の音を聞いたときの脳の反応を、左右の聴覚野から脳波で記録しました。結果は2019年8月にFrontiers in Neuroscience誌に載っています。
絶対音感のない音楽家と音楽経験のない人では、反応の大きさに左右差がありませんでした。絶対音感のある音楽家だけが、左が優位でした。脳の左半球は言語の処理に関わる部分です。研究グループは、絶対音感が、ドレミなどの音を言語のように処理している可能性を示すと説明しています。
さらに詳しく調べると、左の反応が大きいのではなく、右の反応が通常より小さいことが原因でした。右の聴覚野の活動を抑えることで、左の言語機能が働きやすくなるのではないかと推測されています。
声調言語説と音楽訓練説はまだ決着していません
同じ研究グループの説明では、連続する音の高さを半音単位で区切って名前をつけるのが絶対音感で、音高の言語化に近いと考えられています。そして、絶対音感を訓練で獲得しやすい時期は、子どもが母国語を覚える時期と一致すると書かれています。
この「幼いころ」という話は、先に出た声調言語仮説とも、音楽訓練説とも相性が悪くありません。ただ、どちらが正しいかを決めるだけの証拠は、今のところそろっていません。研究者たち自身が、絶対音感の脳の仕組みは「まだまだ分からないことばかり」と述べています。
絶対音感が不利に働くこともある
移調されたメロディで成績が落ちる場合
宮崎氏らは、絶対音感を持つ音楽学生が、音楽にとってより重要な相対的な音の関係をどう聞き取るかを調べてきました。様々な高さに移調した音程やメロディを、絶対音感のある学生は絶対音感に頼って聞く傾向があり、絶対音感のない学生より成績が悪くなる場合がありました。
音の名前が分かる力が、音の関係を聞く邪魔になることがある、という結果です。同じ曲をキーを変えて弾くたびに、頭の中のドが別の音を指してしまうのですから、想像すると確かに混乱しそうです。
相対音感テストでは、日本の音大生がいちばん低かった
各国の音大生に、絶対音感テストと、4種類の調の中で11の音程を答える相対音感テストを受けてもらう国際比較研究も進められています。正答率80%以上を正確な相対音感の基準にすると、結果は次のとおりです。
| 対象 | 正答率80%以上の学生 |
|---|---|
| 新潟大学教育学部の音楽学生 | 7% |
| 京都市立芸術大学の学生 | 24% |
| 上海音楽学院の学生 | 42% |
| ドイツ・マルティン・ルター大学の音楽学専攻 | 70%近く |
| ※宮崎謙一「絶対音感を巡る誤解」(2013年)より。研究は当時進行中で、学生の専攻や教育課程が学校ごとに違う点にも注意が必要です。 | |
ドイツの約70%と新潟大の7%を比べると、70÷7=約10倍の差です。
宮崎氏は、この結果を「がっかりするほどに少ない」と書き、日本の音楽教育にとって憂慮すべきことだと述べています。原因は、教育に足りないものがあるのか、絶対音感を身につけたことが音楽の発達に影響するのかなど、まだ特定できていません。
ただし、これは宮崎氏の研究グループの見方です。絶対音感の捉え方には、研究者の間でも意見の違いがあることを、論文自身が認めています。
絶対音感についてのよくある誤解
絶対音感があれば音楽の才能があるのですか
宮崎氏は、絶対音感は音楽的な才能ではないと述べています。音楽は、メロディや和声、調性など、音と音の関係の上に作られています。孤立した音の高さを言い当てる力は、それだけでは音楽的な意味を持たない、というのが宮崎氏の見方です。モーツァルトの逸話など、絶対音感のある優れた音楽家の例は挙げられますが、絶対音感のない同じくらい優れた音楽家や、絶対音感はあっても音楽家ではない人の方が、ずっと多いはずだと指摘しています。
絶対音感があると、耳が全般的に良いのですか
絶対音感の保有者が、音の大きさや高さの聞き分け、音色の識別などで特別に優れているという証拠はないとされています。絶対音感は、単独の音を音名で言い当てる、という定義以上のものではありません。
絶対音感は遺伝で決まるのですか
遺伝の背景を示そうとする研究者もいますが、宮崎氏によると、これも証拠は十分ではありません。絶対音感に至る子どものころの音楽訓練も、ここまでの数字に重なって影響しているはずなので、遺伝か環境かを切り分けるのは簡単ではありません。
子どもに習わせるか迷うときの判断材料
絶対音感の訓練を考えるなら
絶対音感の訓練を行う音楽教室の主催者は、子どもが相対的に音の高さを聞くようになると、絶対音感の獲得が難しくなると述べているそうです。宮崎氏は、逆に子どものころに正確な絶対音感を身につけた人が、相対音感の必要性に気づかないまま音楽の道に進む可能性にも触れています。絶対音感と相対音感は根本的に異なる聞き方で、両立は容易ではないというのが宮崎氏の考えです。
私が整理して見えた判断の軸
私は、どちらが偉いかを決める話ではないと受け取りました。絶対音感は、音の名前をただちに言い当てる力です。相対音感は、音と音の間隔や、調の中での位置を聞き取る力で、メロディや和声を聞くときの中心になるものです。お子さんに習い事を選ぶ場面では、「何歳までに」という期限の話だけでなく、音と音の関係を聞く経験をどこで確保するかも、一緒に考えておくと安心です。
この記事で引いた数字は、音楽専攻の学生を対象にしたもので、すべての子どもに当てはまる結論ではありません。習い事の選び方は、お子さんの様子と教室の方針を見て決めてください。
まとめ:絶対音感と相対音感の違いを整理する
絶対音感は、基準なしで1つの音の名前を言い当てる力で、相対音感は、音と音の関係から聞く力です。違いを数字で見ると、次のとおりです。
- 「1万人に1人」は、123人を400万人で割った大まかな計算から生まれた数字で、根拠が弱いと指摘されている
- 音大生で見ると、正確な絶対音感は、欧米で5〜10%、日本と中国で約50%と報告されている
- 脳波の研究では、絶対音感のある音楽家だけ、ドの音への反応が左の脳で大きかった
- 絶対音感があると、移調したメロディの聞き取りで不利になる場合が報告されている
最初に思い込んでいた「絶対音感は音楽の才能の証」という見方は、私の中ではだいぶ小さくなりました。ただ、音楽のどの場面で、どちらの聞き方が役に立つかは、まだ研究が続いています。最新の知見は、研究者の論文や大学の発表で確認してください。
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📚 参考文献・出典
- ・宮崎謙一(新潟大学)「絶対音感を巡る誤解」日本音響学会誌69巻10号(2013年) https://www.human.niigata-u.ac.jp/~psy/miyazaki/Papers/Miyazaki2013.pdf
- ・新潟大学脳研究所「脳は“ドレミ”を言語処理!?-脳波により絶対音感の仕組み解明へ-」(2019年8月7日) https://www.niigata-u.ac.jp/wp-content/uploads/2019/08/re_190807.pdf









































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