「Wiiで自由に遊ぶ」最後の砦が崩れた

2000年代後半、Wiiを改造してエミュレータや自作ゲームを楽しむという“Homebrew文化”は、ネットの片隅で静かに革命を起こしていた。
その中心にいたのが「Homebrew Channel」。いわばWiiの“裏アプリストア”とも呼べる存在だ。
そのHomebrew Channelが、2025年5月に突如として開発停止を宣言。
その理由は「著作権的に問題のあるコードが土台になっていたから」開発者のHéctor Martín氏は、GitHub上のリポジトリをアーカイブし、静かにプロジェクトに幕を引いた。
が、問題は決して「静か」ではなかった。
“自由”の名の下に構築されたコードが、実は他者の権利を踏みにじっていたという、オープンソースの暗部が今、露呈した。
libogcに隠された“2段構えの盗用”
Homebrew Channelを含むWii向けの非公式ツール群の多くは、「libogc」というライブラリに依存している。
開発キットと呼ばれるこのライブラリに、少なくとも2つの重大な盗用疑惑が浮上した。
◾任天堂のコードのリバースコピー

最初に発覚したのは、libogcの一部コードがNintendo公式SDKからリバースエンジニアリングされたものである可能性。
これは明確に著作権法違反に該当する。
開発者のマーティン氏は、この事実をHomebrew Channelの開発後期になってから知ったと述べており、次のように語っている。
「libogcは、我々が気づかない間に“既に”問題を内包していた。私たちに提供されたものは、“合法なライブラリ”という建前だった」(GoNintendo)
当時、libogcはWiiハック界隈で事実上のスタンダードとなっており、他の選択肢は存在しなかった。
倫理的な違和感を抱えながらも、マーティン氏を含む開発者たちは「可能な限り任天堂由来のコードを避けながら」開発を続けていた。
しかし2025年、さらに深刻な問題が発覚する。
◾RTEMSからのコード流用とライセンス違反

libogcのOS関連コード(特にスレッド実装や割り込み制御)について、RTEMSというリアルタイムOSのコードが、無断かつライセンス違反の形で使われていたことが判明した。
RTEMSは、GPL互換のオープンソースライセンス下で配布されており、使用は自由。
だが条件がある。それは「ライセンスと著作権表記を削除してはならない」という点だ。
RTEMSプロジェクトは、libogcに含まれるコードの一部が「最小限の改変しか施されずにコピーされており、著作権表示も帰属も削除されていた」として強く抗議。
「コードを再利用するのは構いません。ただしライセンスと著作権を守っていればの話です」
RTEMS公式声明
これは、単なるライセンス違反ではない。
オープンソース界隈の信義則(good faith)そのものに対する裏切りだ。
封じられた告発:「不適切な対応」の現場

事態を重く見たマーティン氏は、libogcのリポジトリ上で「コードの由来とライセンス遵守の確認」を求めるissueを提出。
しかしlibogc開発者は、即座にそのissueを削除。
さらにマーティン氏に対して、罵倒コメントを返し、対話を拒否するという対応をとった。
この対応は、技術者倫理の観点から極めて問題がある。
オープンソース開発において最も大切にされている「透明性」「議論の公開」「責任あるメンテナンス」が、意図的に否定された瞬間だった。
盗用か参考か?グレーゾーンの主張とその限界

libogc開発者の一人であるAlberto Mardegan氏は、自身のブログでこの件について反論を展開している。
彼の主張はこうだ:
- 「RTEMSのコードを“参考”にしたが、コピーしたわけではない」
- 「工学の世界では他人の実装を参照するのは日常」
- 「libogcに似た変数名や構造があるのは偶然、または技術的常識の範囲」
「私たちは芸術を作っているわけではない。工学なのだから、アイディアの再利用はありふれている」
だがこの主張には、法的にも倫理的にも重大な欠陥がある。
著作権法の視点:「参考」では免責されない

マーティン氏はこの点を明確に指摘する:
「RTEMSから少しずつコードを“近づけて”いったこと自体が、派生著作物の構築に他ならない。
それが著作権法第21条〜28条に抵触することを、開発者は理解すべきだった」
さらに、ソースコードの“変数名”や“関数名”の類似性、時系列的にRTEMSが先行していることなどから、libogcがRTEMSの影響下で書かれたことは疑いようがない。
つまり、これは“参考”ではなく、“コピー+改変”=二次的著作物の制作に該当し、著作権の許諾がなければ違法と判断される可能性が高い。
「自由」と「責任」は両立しなければならない

Wii Homebrew文化は、あらゆる制約から解き放たれた“創造性の象徴”だった。
だが、その根幹が他者の知的財産を踏みにじることで成立していたとすれば、それは果たして本当に“自由”だったのか?
オープンソースのライセンスとは、「無償利用の許可」ではなく、「条件付きの信頼契約」だ。
その信頼を踏みにじったとすれば、それは“裏切り”に他ならない。
結論:倫理なき開発は自由ではない

Homebrew Channelの開発停止は、単に1つの非公式ツールが終わったという話ではない。
それは、自由な開発と知的誠実性のバランスが崩れたことで生じた、エコシステム全体の“信用崩壊”の象徴だ。
マーティン氏の決断は、ある意味で痛みを伴う「切り捨て」だった。
だが同時に、それは自由の本質を守るための最後の誠意でもある。
私たちがこの問題から学ぶべきは、技術の話ではない。
「自由なコードとは、誰の犠牲も前提にしないものであるべきだ」という、
未来の開発者に残すべき倫理の基本構造そのものである。