🍷プロローグ:「乾杯」の歴史は、グラスではなく果実から始まった

「飲み会」。
この一見軽薄にも見える文化行動に、私たちはどれだけの時間とエネルギーを注いできただろうか。
日本では歓送迎会や忘年会、欧米ではパブ文化、韓国ではソジュで乾杯。
世界中のあらゆる文化で「酒を媒介とした社交」は存在する。そして、それが人類特有の文化現象とされてきたことに、誰も疑問を持たなかった。
だが、2025年春その「常識」を打ち破る研究結果が、静かに世界をざわつかせた。
🐵大型類人猿にも「酒盛り」が存在していたという衝撃

イギリスのエクセター大学とローハンプトン大学を中心とする研究チームが報告したのは、ギニアビサウのチンパンジーが発酵果実を仲間と分け合いながら摂取していたという驚くべき観察記録だ。
観察されたのは、アフリカ西部のカンタンヘス国立公園に生息する野生のチンパンジーたち。
彼らは地面に落ちて自然発酵した「アフリカンブレッドフルーツ(Treculia africana)」を繰り返し食していたが、その食べ方に注目が集まった。
70件の摂食イベントのうち10件で、仲間と順番に果実を共有する行動が見られたのだ。
そしてその共有された果実の90%には、エタノール(アルコール成分)が含まれていた。
🍈アフリカンブレッドフルーツ:野生の酒場で回される“ジョッキ”

アフリカンブレッドフルーツは、直径30cmを超える巨大な果実で、地面に落ちると急速に発酵が進む。
研究者たちは2022年の4月〜7月にかけて28個の果実を採取・分析。そのうち実に24個からエタノールが検出された。
濃度は平均で0.3%程度
これは日本で販売されている「ノンアルコールビール」とほぼ同等である。
チンパンジーたちは、果実の芯に口をつけて順番に回しながら味わっていた。
人間社会で言えば、それはまさに「回し飲み」の所作に他ならない。
しかも驚くべきは、その“酒盛り”に争いがなかったことだ。
🧠酩酊仮説:「酒に惹かれる」のは偶然ではない?

チンパンジーがアルコールを含む果実に集まる理由を説明する仮説がある。
それが、「酩酊仮説(Drunken Monkey Hypothesis)」だ。
この説を提唱したのは、米・カリフォルニア大学バークレー校のロバート・ダドリー教授。
彼は、霊長類が進化の過程で自然発酵した果実の匂いに反応するようになったのは、栄養価の高いエネルギー源をいち早く察知するためだったと主張する。
アルコールが微量でも含まれていれば、その果実は熟しており、カロリーも高い。
つまり、「酔う」という反応は単なる快楽ではなく、生存戦略の副産物だった可能性がある。
👥“飲みニケーション”の起源は、地上に降りた霊長類だった?

一方で、今回の研究が興味深いのは「共有」行動にある。
果実を巡って喧嘩が起きず、順番を守りながら譲り合う。
これは社会性と秩序を示す高度な行動だ。
人間の飲み会も、「飲むこと」そのものよりも、「誰と、どんなふうに」飲むかに重きが置かれる。
それと同じように、チンパンジーたちの果実共有もまた、単なる摂食行動ではなく、社会的儀礼的な意味合いを持っている可能性がある。
つまり、「一緒に飲む」ことは、すでに進化の過程で組み込まれていた“共感と協調の儀式”だったのかもしれない。
🧬ヒトとチンパンジーに共通する“酒に強い遺伝子”

人間もチンパンジーも、アルコール分解酵素「ADH4」の高活性バージョンを持っていることが知られている。
この遺伝子は、約1000万年前に共通祖先が木から地上生活へ移行した際に出現したとされる。
果実を地面で拾って食べるようになった彼らにとって、発酵した果実に対する耐性は生存を左右する因子だった。
この背景があって、現在の我々人類も「飲める体質」を有しているのだ。
言い換えれば、人間が“酒に強い”のは、単なる個人差ではなく、祖先から受け継いだ進化の遺産だということになる。
🔄文化としての「飲酒」と、進化としての「アルコール共有」

ここで重要なのは、「酔う」ことよりも「酔いを共にすること」の意味だ。
人間社会では、酒を通じて距離を縮めたり、本音を語ったりする。
チンパンジーにも、果実の共有を通じて信頼を確認する仕組みが存在している可能性がある。
特に、序列社会を形成する彼らにとって、「順番に分け合う」行動には、社会的地位の確認や協力関係の構築といった、より複雑な社会性が内包されているのではないかと考えられている。
🧾結論:「飲み会」は、進化が残した“共感の装置”だった

- 野生チンパンジーの果実共有は、単なる食行動ではなく、社交儀礼の可能性を秘めている
- 「酔う」ことも「分け合う」ことも、進化の副産物ではなく、適応的行動だった
- ヒトとチンパンジーが共有する“飲酒文化”は、1000万年の歴史を持つ社会的装置なのかもしれない
次にあなたがグラスを傾けるとき、そこにいる仲間との絆を少しだけ意識してみてほしい。
それは単なる娯楽ではなく、霊長類の進化が選びとった「共感と協調のテクノロジー」なのだから。