亀田製菓の歴史と成功の歩み
創業からの発展(1946年~)
亀田製菓は、1946年に新潟県で創業しました。戦後の混乱期において、創業者である小泉エジ氏が「米どころ新潟の資源を生かした事業を始めたい」という思いから、農家と協力して米を加工する事業を立ち上げたのが始まりでした。
当初は水飴の製造を手がけていましたが、思うように売れず、経営は困難を極めました。その後、1950年に製造品目を「米菓」に切り替えたことで、事業は徐々に軌道に乗り始めます。特に1961年に発売した「サラダホープ」は大ヒットし、亀田製菓の知名度を一気に高めることになりました。
代表的な商品と業界1位の地位
亀田製菓は、その後も数々のヒット商品を生み出し、日本の米菓業界で確固たる地位を築きました。特に、以下のような商品が広く愛されています。
- 柿の種(1966年発売):ピーナッツとセットになった独自の味わいで、日本の定番おつまみとして定着。
- ハッピーターン(1979年発売):独自の「ハッピーパウダー」が特徴で、クセになる味わい。
- ぽたぽた焼き(1986年発売):甘じょっぱい味付けのせんべいで、子どもから大人まで人気。
- ソフトサラダ:サクサクとした軽い食感が特徴で、食べやすさが魅力。
これらの商品の成功により、亀田製菓は1975年に米菓売上高日本一を達成しました。その後も50年近くにわたり、業界1位の座を維持し続けています。
海外展開への意欲とCEO交代
近年、亀田製菓は日本国内市場だけでなく、海外市場への進出にも力を入れています。特にアメリカやアジア圏への輸出を強化し、「米菓の世界ブランド化」を目指しています。
こうしたグローバル戦略の一環として、2022年にジュネジャ・レカ・ラジュ氏がCEOに就任しました。ラジュ氏は1984年に日本へ渡り、食品業界で長年の経験を積んだ人物であり、2020年には亀田製菓の副社長に就任。その後、2022年6月に代表取締役会長兼CEOとなりました。
彼の就任により、亀田製菓はさらなる海外展開を推進する方針を打ち出しましたが、2024年12月の発言をきっかけに日本国内で炎上し、現在の不買運動へとつながっています。
次は、炎上のきっかけとなったCEOの発言について詳しく見ていきます。