2026年9月22日、高市早苗首相は国連総会の一般討論演説でこう述べました。「国連憲章の旧敵国条項は早急に削除されるべきだ。国連の取り組みに大きく貢献してきた日本の誇りと名誉にかけて強く申し上げておく」。翌23日、中国外務省の郭嘉昆副報道局長はこれに反論します。「今日に至るまで依然として重要な現実的意義をもつ」。
私はこのニュースを読んで、まず数字を確かめたくなりました。というのも、旧敵国条項はすでに1995年に国連総会で賛成155か国・反対0という圧倒的な数字で「時代遅れ(obsolete)」と認定されているからです。ほぼすべての加盟国が「もう必要ない」と言ったのに、2026年の今もなぜ問題になっているのか。
この記事では、旧敵国条項が書かれている3つの条文の内容、生まれた歴史的背景、そして削除が進まない構造的な理由を整理します。
- 旧敵国条項が書かれている国連憲章の3条項(第53条・第77条・第107条)
- 1945年、まだ戦争中にこの条文が生まれた経緯
- 1995年の「削除決議」が通っても条文が消えない理由
- 中国が「現実的意義がある」と言い続ける外交的な背景
2026年9月、「旧敵国条項」が注目された経緯
高市首相の国連演説は、日本が1956年12月18日に国連の80番目の加盟国として認められてから70周年(2026-1956=70年)という節目の年に行われました。
演説では旧敵国条項の早急な削除を求めるとともに、「2005年の国連世界首脳会合で全加盟国首脳が削除への決意を示してから20年以上が経過した」と指摘しました。日本だけの主張ではなく、国連総会でいったん合意形成された課題として提起したのです。
中国外務省が翌日に「依然として現実的意義がある」と反論したことで、この条文の存在が広く注目を集めました。「旧敵国条項って何?」という疑問を持った方は多かったのではないでしょうか。
国連憲章の3条項に残る「敵国」の文字
旧敵国条項とは、国連憲章の第53条・第77条・第107条に含まれる規定の総称です。「敵国(enemy state)」という言葉が条文中に直接登場します。
国連の6つの主要機関や安全保障理事会の仕組み全体については国連の仕組みを解説したこちらの記事で触れていますが、今回はこの3条項に絞って見ていきます。
第53条 — 安保理の許可なく旧敵国への武力行使が容認される
通常、国連体制では武力行使には安全保障理事会の許可が必要です。しかし第53条第1項後段には例外が設けられています。地域的取極め(地域同盟や条約)による強制行動は安保理の許可を要するが、「敵国の侵略政策の再発防止に向けた措置」は安保理の許可を必要としない、という内容です。
つまり「旧敵国が再び侵略的な行動に出た場合、連合国側は安保理の承認なしに軍事的措置を取れる」ということになります。通常の国連加盟国には認められていない例外的な扱いです。
第107条 — 戦後の占領・統治措置を無効化させない
第107条は「過渡的安全保障」と呼ばれる条文で、第二次世界大戦中に連合国の署名国が旧敵国に対して行った措置——休戦協定の締結・降伏文書の受理・占領・戦後処理——について、「国連憲章のいかなる規定もこれを無効にしない」と定めています。
「戦後の占領や領土処理は正当だった」という確認条項です。この条文をめぐる注目すべき事例については後ほど詳しく触れます。
第77条 — 信託統治に言及する条文
第77条は信託統治(国連が暫定的に統治する地域の制度)に関する条文で、信託統治の適用対象として「第二次世界大戦の結果として敵国から分離される地域」が挙げられています。「敵国」という語が登場するため、旧敵国条項の一部として数えられています。
対象国は条文に名前の記載がありませんが、日本政府の見解では日本・ドイツ・イタリア・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア・フィンランドの7か国が該当するとされています。日本だけの問題ではなく、欧州4か国も含まれています。
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1945年、まだ戦争中に起草された規定
国連憲章は1945年6月26日にサンフランシスコで署名され、同年10月24日に発効しました。ただし起草作業は1944年のダンバートン・オークス会議(米・英・ソ・中の4か国会議)から始まっており、1945年4月〜6月のサンフランシスコ会議で最終的な文案が確定しました。
憲章の署名時点(1945年6月)、ドイツはすでに5月に降伏していましたが、日本はまだ交戦中でした。「旧敵国が再び平和を脅かした場合に備える」という条項は、戦争が続く最中に、戦後の秩序を守るための予防措置として設計されました。当時の文脈では、合理的な判断だったと言えます。
戦後80年以上が経過し、旧敵国だった7か国はすべて国連加盟国になりました。日本は1956年12月18日に国連に加盟し、その後、国連安全保障理事会の非常任理事国を複数回務め、国連の平和維持活動に積極的に参加してきました。「旧敵国」という前提そのものが、実態として失われています。
1995年の「削除決議」が通ったのに、なぜ条文は残るのか
ここが私も最初に誤解していた部分です。「1995年に問題はほぼ解決したのでは」と思っていました。
1995年12月、国連総会は決議50/52を採択しました。賛成155か国・反対0・棄権3(当時の加盟国は185か国)。賛成率は155÷185≈83.8%という圧倒的な数字で、旧敵国条項は「時代遅れであり死文化している」と認定されました。2005年の国連世界首脳会合でも、削除への決意が成果文書に明記されています。
ところが、決議は「削除に向けて作業する」という意思確認であり、条文そのものを消したわけではありません。「決議が通った=条文が消えた」ではないのです。
条文を削除するには「憲章改正」が必要
国連憲章第108条には、憲章を改正するための手続きが定められています。必要なのは次の2つの条件です。
国連憲章改正の2つの要件(第108条)
条件①
全加盟国の
3分の2以上が
総会で賛成し批准
条件②
安保理
常任理事国5か国
全員が批准
現在の国連加盟国は193か国です(国際連合Webサイト記載・2026年9月時点)。改正に必要な批准国数は193×2÷3≈128.7、つまり129か国以上です(2026年9月時点の加盟国数から計算)。
大きな壁は「条件②」です。安保理の常任理事国(P5)はアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国の5か国。この5か国が全員批准しなければ改正は成立しません。中国かロシアのどちらか1か国でも批准を拒めば、国際社会の大多数がどれほど削除を望んでも、条文は消えません。
1995年に155か国の賛成で「削除の意思」が確認されても、この改正手続きが完了しない限り条文は残ります。83.8%の賛成率でも、法的な削除には別の手続きが必要なのです。決議と憲章改正は別物でした。
「死文化」しているはずが、実際に援用された事例
「現実には使われない条項だから、残っていても大きな問題ではない」という見方があります。確かに、この条項を根拠に旧敵国への軍事行動を支持する国は、国際社会にほぼ存在しません。
ところが、完全に封印されてきたわけでもありません。
ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、北方領土の領有権を主張する文脈で国連憲章第107条を援用したことがあります。「第二次世界大戦においてソ連が行った北方領土の占領は戦後措置であり、国連憲章によって無効化されない」という論理です。
「死文化した」とされる条文が、現実の領土問題の根拠として持ち出されたという事実は、条文が憲章に残っている限り外交的な援用の余地は消えないことを示しています。これが旧敵国条項を単純に「形骸化した規定」と片付けられない理由の一つでしょう。
条文が残り続けることの課題——外交的な援用と法的な曖昧さ
旧敵国条項は現在「死文化している」とされますが、条文が憲章に残ることにはいくつかの課題があります。
防衛政策への言及根拠として機能し得る
日本が防衛費を増加させたり反撃能力を整備したりする動きがあるたびに、「旧敵国が戦後体制に反する軍事力を拡大している」という文脈での批判が出てきます。条文の残存は、こうした言及の法的な背景として機能し得ます。
台湾問題を含む外交交渉の材料
カイロ宣言(1943年)やポツダム宣言(1945年)と組み合わせることで、「日本は戦後体制において台湾問題に口を出す立場にない」という主張を補強する材料としても活用されます。
旧敵国条項が「削除要求があるたびに反論の場になる」という構造も、経済制裁が持つ外交的シグナルとしての機能と似ています。「実際に使うかどうか」より「使い得る余地があるかどうか」が外交の現場では意味を持つのです。
中国が「現実的意義がある」と言い続ける理由をどう判断するか
2026年9月22日の高市首相の国連演説に対して中国が翌日に反論したのは、2025年以前も繰り返されてきたパターンです。
「旧敵国条項が現実的意義をもつ」という見出しは、確かにその文脈では正しいのかもしれません。ただ、私がもう少し丁寧に見ておきたいのは「誰にとっての現実的意義か」という点です。
国際社会の大勢は1995年以降、この条項を「有効な規定」として扱ってきませんでした。155か国が「時代遅れ」と票を投じたことは、その意思を示しています。中国外務省の「現実的意義がある」という発言は、中国の外交的な立場の表明として理解するのが正確でしょう。
削除が実現すれば、少なくとも外交的な言及の法的根拠は消えます。NATOの集団防衛の枠組みと同様、旧来の戦勝国・敗戦国という区分なしに安全保障の議論に参加できるようになる点は、象徴にとどまらない意味があります。
最新の外交的動向については、外務省の公式発表や国際報道機関の情報を参照してください。
よくある誤解——旧敵国条項について整理する
誤解1:「1995年の決議で削除は完了した」
決議50/52は「時代遅れと認識し、削除に向けて作業する」という意思確認です。条文は今も国連憲章第53条・第77条・第107条に残っています。決議と憲章改正(第108条の手続き)は別物です。
誤解2:「旧敵国条項があれば今すぐ日本は攻撃される」
この条項を根拠に旧敵国への軍事行動を支持する国は、現在の国際社会にほぼ存在しません。外交的な言及ツールとして機能する可能性はありますが、即座に軍事的脅威に直結するわけではありません。報道の見出しを過剰に解釈しないことが大切でしょう。
誤解3:「旧敵国条項は日本だけの問題」
日本政府の見解で旧敵国とされているのは7か国(日本・ドイツ・イタリア・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア・フィンランド)です。ドイツも長年削除を訴えてきた当事国のひとつであり、日本固有の問題ではありません。
まとめ——条文が残ることの意味を知っておく
旧敵国条項は、国連憲章の第53条・第77条・第107条に残る規定で、第二次世界大戦の旧敵国7か国を特別扱いする条文です。
1995年に国連総会が「時代遅れ」と決議し(賛成155か国・反対0)、2005年の世界首脳会合でも削除の決意が表明されましたが、実際の削除には憲章改正が必要で(全加盟国の3分の2以上+安保理P5全員の批准)、現在も条文は残っています。
日本にとっての現実的な影響は、直接的な軍事的脅威というよりも、外交的な文脈での言及ツールとして機能するという形で現れています。ラブロフ外相が北方領土問題で第107条を援用した事例は、「死文化した条文」であっても外交の場では持ち出せることを示しました。
2026年9月の高市首相演説と中国外務省の反論は、この問題が今もリアルな外交課題であることを改めて浮き彫りにしました。旧敵国条項の中身と削除が進まない構造的な理由を知っていれば、こうした外交的なやり取りの意味が、見出しだけを追うよりも正確に理解できるようになるでしょう。
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参考文献・出典
- ・Wikipedia「敵国条項」 https://ja.wikipedia.org/wiki/敵国条項
- ・日本経済新聞「中国、国連憲章の旧敵国条項は「現実的意義」 削除提唱の高市氏に反論」(2026年9月23日) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM231QX0T20C26A9000000/
- ・Bloomberg「高市首相、「旧敵国条項」の削除を国連演説で主張」(2026年9月22日) https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-09-22/TLRRIHT9NJMK00
- ・衆議院質問主意書「国連憲章におけるいわゆる「旧敵国条項」に関する質問主意書」 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a213199.htm
- ・国際連合広報センター「国連憲章」(テキスト参照)
- ・UN General Assembly Resolution A/RES/50/52(1995年)https://digitallibrary.un.org/record/169434/files/A_49_741-EN.pdf
- ・セキュリティ対策Lab「中国が旧敵国条項を再び持ち出す」 https://rocket-boys.co.jp/security-measures-lab/china-un-charter-clause/










































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