見出しに「追放」と出ると、国が外国人の外交官を強制的に国外へ連れ出す手続きのように読めます。私もこの記事を書くまで、そう思っていました。条約の条文を読み直すと、通告するのは受け入れる側の国ですが、実際に引き上げるのは送り出した側の国です。読売新聞は2026年11月8日、「首斬り」投稿をした中国の総領事の追放が、中国側の「倍返し」予告で見送りになったと報じました。この記事では、総領事の追放(ペルソナ・ノン・グラータの通告)がどんな手順で決まり、なぜ簡単に使えないのかを、2026年11月時点で確認できた条約の原文と報道で整理します。どちらの国が正しいかは判断しません。
- 「追放」と報じられる措置の正体は、受け入れ国が理由を示さずに行う「好ましからざる人物」の通告です
- 通告を受けた派遣国は、本人を召還するか任務を終わらせなければならず、応じなければ受け入れ国が認可状を撤回できます
- 総領事は、職務上の行為について裁判権が及ばないため、この通告が受け入れ国の手元に残る数少ない手段になります
- 今回は、日本が1人に対して通告すれば中国は2人で返すと予告したと報じられ、通告は見送られました
「追放」という見出しは、通告と退去要求を一つにした言い方です
最初に、ニュースで起きたことを確認します。読売新聞オンライン(Yahoo!ニュース配信)によると、発端は2025年11月、高市首相が台湾有事をめぐって国会で行った答弁です。これに反発した在大阪の中国総領事がSNSに首相を名指しした過激な投稿をし、与党議員から追放を求める声が上がりました。
首相は、早く帰任させなければペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)として扱う、つまり国外退去を求めると中国に伝えるよう指示しました。外務省の金井正彰アジア大洋州局長が北京で中国外務省の劉勁松アジア局長にこの方針を伝えたところ、劉氏は在中国の日本の総領事の名前を挙げ、1人を追放すればこちらは2人だと返したと報じられています。
見出しの熱と、条文の静かさ
「首斬り」も「倍返し」も、読む側の温度を上げる言葉です。ところが、この問題の根拠になる条約の条文は、驚くほど短く淡々としています。私は熱い見出しと冷たい条文の差を見るのが好きで、今回もまず条文を探しました。
この記事で扱う範囲
総領事の発言の是非や、日中関係の今後の見通しは扱いません。扱うのは、通告という制度が条約上どう定められ、通告する側とされる側に何が起きるのかです。最新の情勢は、報道や外務省の発表で確認してください。
ペルソナ・ノン・グラータは、条約の第23条に書かれています
総領事のような領事官については、領事関係に関するウィーン条約の第23条が定めています。国連が公開している英語の正文では、第23条は4つの項からできています。
第23条の4つの項
第1項は、受け入れ国がいつでも、領事官について「ペルソナ・ノン・グラータ」であると派遣国に通告できると定めています。通告を受けた派遣国は、場合に応じて、本人を召還するか、領事館での任務を終わらせます。第2項は、派遣国が合理的な期間内にこれをしないときの規定で、受け入れ国は本人の認可状(エクセクアトール)を撤回するか、領事館職員として扱うのをやめることができます。
第3項は、赴任前の人についても受け入れ国が「受け入れられない」と宣言できるというもので、その場合、派遣国は任命を取り下げます。第4項は、第1項と第3項の場合に、受け入れ国が理由を派遣国に示す義務はない、と定めています。
外交官の場合は第9条
大使館の外交官は、別の条約である外交関係に関するウィーン条約の第9条が同じ仕組みを定めています。受け入れ国は「いつでも、かつ、その決定を説明する必要なしに」通告でき、赴任前でも宣言できます。派遣国が合理的な期間内に応じないときは、受け入れ国は本人を使節団の構成員として認めないことができます。
条文に「追放」という言葉は出てきません
私が意外だったのはここです。第23条の文言は「召還」「任務の終了」「認可状の撤回」で、第23条には追放や国外退去という語が出てきません。「追放」は報道上の通称で、条約上の手続きは、通告→派遣国による召還や任務終了、という順番になっています。
ニュースの「追放」という言葉を、どんな手続きだと思っていましたか?
- 国が強制的に連れ出す
- 相手国に出ていくよう通告する
- 召還のことだと思っていた
- よく分からなかった
なぜ総領事を逮捕や起訴で止められないのか
ここで一つの疑問が出ます。言動に問題があるなら、法律で罰すればよいのではないか、という疑問です。答えは条約の免除の規定にあります。
職務上の行為には、裁判権が及ばない
領事条約の第43条は、領事官と領事職員が職務の遂行として行った行為について、受け入れ国の司法・行政当局の裁判権に服さないと定めています。第41条は、領事官が裁判前に逮捕や拘禁されるのは、重大な犯罪で、権限ある司法当局の決定があるときに限ると定めています。外交官はさらに強く、外交関係条約の第29条で、いかなる抑留や拘禁も受けないとされています。
相手の国の法令を守る義務も、同じ条約にある
免除を持つ人には義務もあります。領事条約の第55条は、特権と免除を持つ者は、受け入れ国の法令を尊重する義務と、内政に干渉しない義務を負うと定めています。義務に反しているように見えても、本人を裁判にかけて罰する道は狭い。そこで、受け入れ国の手元に残る手段として使われるのが、第23条の通告です。
外交の場で国が使う圧力は、通告だけではありません。取引を止める経済制裁もあります。経済制裁が国や産業を相手にするのに対し、通告は特定の個人に向けられます。経済制裁の手段と限界と並べると、個人に向けた手段がいかに小さく、そして重いかが見えてきます。
領事の仕事には、第5条にあるとおり、自国民の保護や援助、旅券や査証の発給、公証事務などが含まれます。通告で総領事が去れば、その地域の自国民への対応や手続きにも影響が出ます。この点は、通告する側の負担にもなります。
通告から出国まで、何が起きるのか
通告のあとの流れを、条文どおりに並べます。
通告から退去までの流れ(領事官の場合)
理由は示さなくてよい(第23条4項)
または任務を終わらせる(1項)
認可状の撤回など(2項)
免除は残る(第53条3項)
出国の準備には時間と便宜が与えられる
通告されたその瞬間に、外交特権が消えるわけではありません。第26条は、受け入れ国が、職員と家族に、出発を準備し、できるだけ早く出国するために必要な時間と便宜を与えると定めています。第53条3項は、職務が終わったあとの特権と免除は、本人が出国したとき、または出国のための合理的な期間が過ぎたときのいずれか早いほうに消えると定めています。
期限は条約には書かれていない
「合理的な期間」が何日なのか、条約には数字がありません。2022年にロシアが日本側の領事を退去させたときは、ニューズウィーク日本版によると48時間以内の退去が命じられました。期間は事案ごとに通告の中で示されるものです。
通告は、返ってくる措置までを含めて考えられる
通告は、出す側にも跳ね返ります。今回の報道でそれが数字で出ているのが「1人に対して2人」です。
日本が見込んだ「1対1」と、中国が予告した「1対2」
読売新聞によると、日本政府は中国が報復するとしても、総領事を1人追放する「1対1」の返しを想定していたようです。中国側の劉氏が口にしたのは1人に対して2人でした。条約の第23条には報復の規定がなく、同数にするか2倍にするかは各国の政治判断になります。
仮に、報復のたびに相手の2倍を返し続けたとすると、1人、2人、4人、8人と、3回のやり取りで8人になります。
【自分で計算した仮の数字】1人から始めて、3回続けて2倍を返す場合:2×2×2=8人(現実の予測ではなく、倍返しが重なると何人になるかを示す式です)
もちろん、実際にこうなるという話ではありません。それでも、数が増えるほど各国の領事館の機能が落ちることは、第5条にある領事の仕事を見れば想像できます。
日本の過去の例は少ない
東京新聞は、日本政府がペルソナ・ノン・グラータを通告した例は過去4例で、2025年11月14日の会見で茂木外相が説明したと伝えています。2022年の札幌のロシア総領事館の件もその一つとされ、中国に対して通告した例はありません。通告は、日本の外交でも、ごくまれにしか使われない措置です。
通告を見送ったのは「何もしなかった」ことではない
読売新聞は、首相が報復の連鎖を避けるために見送りを決め、関係者が「対話の余地を残すための最後の判断」と説明していると報じました。見送りは、通告という選択肢を使わないと決めた、という判断です。東京新聞では、元外交官の美根慶樹氏が、通告は通常の外交としては使わない非常に重い手段だと述べ、立憲民主党の野田佳彦代表も、そこまでエスカレートしてよいのかと語ったと報じられています。
見出しの言葉を読み分ける判断基準
ニュースで「追放」「退去」「召還」と出てきたとき、誰がどの手順を進めているのかは、次の表で確認できます。
| 見出しの言葉 | 動くのは誰か | 条約上の中身 |
|---|---|---|
| ペルソナ・ノン・グラータの通告 | 受け入れ国 | 理由を示さずに「好ましくない」と派遣国に伝える(第23条1項・4項) |
| 召還 | 派遣国 | 自国の人を引き上げる。通告を受けた派遣国の対応の一つ |
| 任務の終了 | 派遣国 | 領事館での職務を終わらせる。通告を受けた対応のもう一つ |
| 認可状の撤回 | 受け入れ国 | 派遣国が合理的な期間内に応じないときの措置(第23条2項) |
| 追放・国外退去 | 報道の通称 | 第23条の文言にはない。上の手順をまとめた呼び方 |
| ※出典:領事関係に関するウィーン条約(国連公開の英語正文)の第23条。表の読み方は編集部の整理です。 | ||
見出しを読むときの3つの確認
通告したのか、通告を検討しているのか。派遣国が応じたのか、応じていないのか。報復の発表は、条約の手続きではなく政治判断なのか。この3点を見ると、「追放へ」と「追放した」の違いも分かります。今回の見出しは「見送り」で、通告は実行されていません。
この仕組みの弱点と、私が確かめられなかったこと
理由を示さなくてよいから、使うほうの重さが残る
第23条は理由の説明を求めていません。ただ、国民や国際社会に向けては、なぜ通告するのかを説明する必要が出ます。説明の義務がないことは、使いやすさではなく、使った国が全責任を負うことを意味しているのだと私は読みました。この点は私の解釈です。
確認できなかった点
外務省の条約集のページは、今回の取材ではアクセスできませんでした。そのため、条文は国連が公開する英語の正文で確認しています。日本語の公定訳の言い回しは、外務省の条約集で確かめてください。東京新聞の記事は有料部分が読めず、元外交官の見解は公開されていた範囲だけを引用しています。
日中の間では、条約の条文が外交の場で持ち出される場面がほかにもあります。旧敵国条項の解説では、条文が残っていることが外交で援用される余地になっている、という見方を整理しています。
よくある誤解
ペルソナ・ノン・グラータの通告は、本人を強制的に連行する手続きですか
いいえ。第23条の手続きは、受け入れ国の通告、派遣国の召還か任務の終了、という流れです。派遣国が応じないときに、認可状の撤回などの措置が出てきます。
通告するには、問題行為の証拠や理由を示す必要がありますか
いいえ。第23条4項は、第1項の通告について、理由を示す義務はないと定めています。外交官の場合も、外交関係条約の第9条が、いつでも、説明する必要なしに通告できるとしています。
1人を通告されたら、相手国も1人を返す決まりですか
決まりではありません。第23条には報復の規定がなく、数は各国の判断です。今回の報道でも、日本が1対1を見込んだのに対し、中国は1対2を予告したと伝えられています。
総領事は、大使と同じ条約で扱われますか
別の条約です。総領事など領事官は領事関係に関するウィーン条約、大使など外交官は外交関係に関するウィーン条約です。通告の仕組みは似ていますが、逮捕に関する規定は異なります。外交官はいかなる抑留や拘禁も受けないのに対し、領事官は重大な犯罪で、司法当局の決定があるときに限り、裁判前の逮捕や拘禁を受けます。
まとめ:総領事の追放は、通告と派遣国の対応と、返ってくる措置の三つで読む
「追放」と報じられる措置は、条約上は第23条のペルソナ・ノン・グラータの通告です。受け入れ国は理由を示さずに通告でき、派遣国は召還か任務の終了をします。応じなければ認可状の撤回に進み、出国までは免除が残ります。
通告が使われるのは、領事官の職務上の行為に裁判権が及ばないためです。同時に、使えば報復を呼びます。今回は1人に対して2人という予告があり、通告は見送られました。見送りは、制度が使えなかったのではなく、使った場合の結果を見て選んだ判断でした。
次に「追放」の見出しを見かけたら、通告したのか、検討しているのか、派遣国は応じたのかを確認してください。私は、この3点を見るだけで、見出しの熱がだいぶ冷静に読めるようになりました。最新の情勢は、報道と外務省の発表で確認してください。
この記事の内容、読む前から知っていましたか?
- 知っていた
- なんとなく知っていた
- 初めて知った
- 誤解していた
📚 参考文献・出典
- ・読売新聞オンライン「『首斬り』総領事の追放、中国側『倍返し』予告で見送り…互いに譲らず冷え切った日中関係」(Yahoo!ニュース配信) https://news.yahoo.co.jp/articles/56d9bed63ace2b9f8ecd508df5760c0bd8997e95
- ・東京新聞「『ペルソナ・ノン・グラータ』って何? 中国総領事『首斬る』投稿で浮上…通告する側に求められる『覚悟』」 https://www.tokyo-np.co.jp/article/449903
- ・ニューズウィーク日本版「ロシアが日本の領事を拘束、スパイ容疑で国外退去を命令」(2022年9月) https://www.newsweekjapan.jp/articles/-/13549
- ・United Nations「Vienna Convention on Consular Relations, 1963」(英語正文) https://legal.un.org/ilc/texts/instruments/english/conventions/9_2_1963.pdf
- ・United Nations「Vienna Convention on Diplomatic Relations, 1961」(英語正文) https://legal.un.org/ilc/texts/instruments/english/conventions/9_1_1961.pdf
📖 この記事について 本記事は条約と報道をもとにした制度の解説で、特定の国や個人の行為の是非、外交上の判断や法的な助言をするものではありません。内容は2026年11月時点の報道と条約の英語正文によります。最新の情勢は、外務省の発表や報道でご確認ください。










































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